(旅ログ)縄文顔のおいらが、弥生時代の遺跡公演(吉野ヶ里遺跡)で、弥生人の気持ちに触れてきた。

佐賀県滞在最後の日、午後の飛行機まで佐賀県の観光をと思い、調べてみました。

佐賀城本丸歴史館」か「吉野ケ里歴史公園」のどちらかで迷っていましたが、

今回は、吉野ケ里歴史公園に行ってみました。

 

吉野ケ里歴史公園

東の入り口と西の入り口があります。

私は佐賀駅からタクシーを使いました。

電車ですと、JR長崎本線で長崎本線普通列車上り

〔鳥栖方面〕>→JR神埼駅(約9分)またはJR吉野ヶ里公園駅(約12分)が最寄り駅です。

 

立派な入り口。

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Mapを見ながら、足を進めていきます。

しかし、無類の方向音痴の私(^^ゞ。

早速迷ってしまいました(´ε`;)ウーン…。

 

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やぐらからの眺めに、弥生人を思う!。

遺跡発掘当時は穴だけの遺跡でした。

その後に復元したやぐらや住居が増えて、公園になったのかな?。

ここまで復元すると、何か風情はなくなった感じもします。

まずは遠くにに見える集落まで歩きました。

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その途中に、杭がたくさん刺さった場所が、

稲作、農業が始まってから争いごとが増えてきた。

縄文時代のほうが食料が偏らなかったので、飢えは、弥生時代以降の方が多い。

そんな事を教わりました。

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イノシシ?

良くできています((⌯˃̶᷄₎₃₍˂̶᷄ ॣ))。

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やっとやぐらのある一画へ。

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登れるやぐらから見た風景。

こんな風景を見ながら、何を思ってのでしょうね。

一時、弥生人になるのも良いもんです。

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庶民の生活は!。

庶民派、いわゆる竪穴式住居といえば良いのか?、

そんな住居の復元の中に、人形が当時の生活を再現しています。

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弥生人、しっかり暮らしていたと言うことが分かりますね〜。

 

弥生人の埋葬!

施設の中に墓の跡と思えるところがあります。

こんなように共同墓地だったんでしょうね。

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こんな感じで埋葬されていたのですね。

何か、見送る悲しみは、今(現代)と通じるものがあると思いました。

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きじ、現る!

入り口まで戻ろうと、歩いていると、

何かいる?、目を凝らすと、あれま、きじでした。

実物は初めて見るかな?、さすがですね〜。

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そろそろ、戻ろうと駅を目指して歩いてると…。

こんな標識が。

なんだ、ここは久留米とは近い場所なんですね〜。

土地勘が無いもので(^^ゞ。

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長崎本線、吉野ケ里公園駅に着きましたが、慣れていないせいか…、

JR九州はよくわかりませんでした。

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まとめ

数時間ではみることが出来ません、公園ですね。

巡回バスとか、トイレも数多くあり、完備された公園、

それが第一印象ですね。

邪馬台国かどうか…?、わかりません(キッパリ)。

 

今の私達の文化の原点の一部。

そんな感想ですね、楽しい時間でした。

 

また、お邪魔したいですね。

 

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この記事を書いた人

三輪 昌志

カウンセラー・セミナー講師 準備中の三輪(まー坊)です。

人の話しを聞けない、囚われに満ちたおじさんだった私。

ひょんなことから、心の学びを学ばせていただくことになり、悪戦苦闘してきました。

そんな私でも、学び感じて、変化できました。
この変化できた学びを、以前の私のような人にお伝えできるように、活動中です。