【食の思い出】すた丼歴、40年の私がすた丼を語ってみました。

みなさんは、「すた丼」と言う食べ物をご存知でしょうか?。
“すたみな丼”ではなく『すた丼』です。
すた丼歴40年の私が、『すた丼』について書いてみます。

青春のソウルフード・スタ丼

昭和53年、当時大学生の私(19歳)。
Denny’s西国分寺店のアルバイトをしていました。
バイト終了後、バイト仲間から、
「国立にすっげー美味い丼があるから、行かないか?」
と誘われ、私の車で…国立駅に、適当に路駐して、お店に入りました。
当時は『サッポロラーメン』と言う店名でした。
そして、当時は「すた丼」ではなく「スタ丼」でしたね、余談ですが(*^-^)ニコ。
その辺の詳しいことは、下記サイトを参照してください。

店員さんは少し強面、当時で言えば“ツッパリ”のお兄ちゃんたちでした。
迷わずに、スタ丼大盛りを注文。
記憶違いでなければ、ラーメン丼で出てきたと思います。

私より3歳若い俳優の宇梶剛士さんが、当時の思い出を語っています。
余談ですが、彼とは面識はありませんが、彼が最初に入った高校が同じで、
※彼は入学した高校と、卒業した高校が違います。
私とは3年違いの後輩になります、入れ違いでその高校に入ってきました。
このお店「サッポロラーメン」には、ほぼ同時期に通っていたのだと思います。

愛情こもった味

ニンニクが効いた醤油ダレで、湯通しした豚バラ肉にネギを入れて炒め絡める、今のすた丼と変わりませんね。
19歳の腹ぺこ小僧だった、私は、この味にハマりました。
世の中に、こんな美味い物があるのか!、
丼までたべるかのような勢いで食べた記憶があります。
それから、40年…、国立のお店には、なかなか行けませんが、全国展開している『すた丼』は食べ続けています。

若い私たちに安く腹いっぱい食べさせたい。
そう考えると優しく、愛情こもった味でした。

さすがに今は、大盛りは無理だと思いますが、あの頃は大盛り2杯でもいける。
そんな風に思っていました。

当時の思い出

優しいが少し怖い店主さん、
強面の店員さん、
お客も“ツッパリ”の連中、

ちょっと緊張して食べていました。
まぁ、少しビビってたと言うことです。

でもお店の中で、私の知り得るかぎりでは、問題はありませんでした。

今でも

若い時に食べた物は…、ず〜〜っと味が記憶に残ります。
いわば、このあたり(東京・多摩地区)のソウルフードです。
今でも、優しさを感じながらいただいています。

値段が張る物も食べることが出来るようになっても、
やはり、身体はこの『すた丼』の味を欲する時があります。
今の『伝説のすた丼屋』さんのメニュー数は多いです。
それはそれで良いですが、私は、今でも『すた丼』だけを食べています。

そこが…ソウルフードなのだなと感じています。
おそらく、じい様になっても通い続けると思います。
こんな記事書いてたら、食べたくなってしまいました (^∇^)アハハハハ!。

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この記事を書いた人

三輪 昌志

カウンセラー・セミナー講師 準備中の三輪(まー坊)です。

人の話しを聞けない、囚われに満ちたおじさんだった私。

ひょんなことから、心の学びを学ばせていただくことになり、悪戦苦闘してきました。

そんな私でも、学び感じて、変化できました。
この変化できた学びを、以前の私のような人にお伝えできるように、活動中です。