感じない自分…、そんなことに悩んだ時もありました。
感じる、感じない…どういうことなのでしょう?。
感じない私
感じない人間はいないですよね。
感じたことをストレートに出さない、
感じたことを出してはいけない、
そう思っていました。
それを長いことやっていると、感じることを拒否していきます。
私だけではなく、そんな人は多いのではないでしょうか?。
感じないふり=動じない…おおきな勘違い
心の学びをするまで、感じないふりをしてきました。
それが、“動じない”ことだ思っていました。
何が起きても、たいしたことないよ…、そう言いながらことに当たる。
それが、男なんだと…、とんでもなく大きな勘違いをしてたわけです。
感じないふりは、自己防衛
感じないふりの原点は、やはり、子どものころの虐め、嫌われる、
他人のそんな感情を感じてるのに、感じないふりをする。
自分が傷つかない、当時(子どものころ)の最大の防御だったのです。
それを大人になってもやっていた。
感じないふりは、人間関係を狭くします。
人間関係の物差しをとことん狭くして、そんな時に、心の学びに入ってきました、
いえ、何か大きな存在に入れさせられた…、これが本当だと思います。
感じないことは動じない事の世界から、
感じないことは正直じゃない世界へ、
しんどいですよね。
感じる扉を開けると
別の世界が広がりますよね。
感じて良いんだ…、感じたことを赦して良いんだ!。
許しではなく、赦し、なんです。
自分が感じたこと、他人が感じたこと、違うのは当たり前です。
その違いは、人間関係の物差しを大きくします。
それが、自分の度量が大きくなることにつながるのでは無いでしょうか?。
価値観の違う人との共存、共有の始まりだなと、当時は感じました。
三輪の一言

もっと楽しいし、もっと嬉しいし、もっと憎らしいし、もっと慈愛にあふれているんだよね。
この境を知るのは…心の領域なんだね〜〜。