先日、数年ぶりに怒りの自動反応が出てしまいました。
とある友人を、私のサロンに泊めることになり、その人は打合せが終わったら来ることになり、私は待っていたのですが、
連絡が来ることなく、夜遅くまで待っていました。
私も疲れていて、連絡がくるのを待っていましたが、連絡もなく…。
この頃から「非常識な人だ!」と言う怒りの感情で爆発寸前でした。
非常識とは、自分なら絶対にやらない…、
と言う基準を遥かに超えたと感じることです。
ありえない時間に「これから行きます」との連絡が入り、
「なんだ、こいつは…、ありえないほど非常識なやつだ!」と怒っていた訳です。
天井知らずの「自動反応」
よくカッとなって…などで殺人まで起きてしまうケースもあります。
あってはならないことですが、自動反応の怒りなら、ありえないことではないなと思います。
つまり…天井知らずの怒りの感情にのみ込まれてしまうのです。
「この人とは、もうつき合うのはやめだ!」
「この夫婦とはもう絶交だ!」
「もう二度とサロンは使わせない!」
「非常識にもほどがある!」
「二度と会いたくない!」
本人が来た時に…、
「あなたのこういうところは、私は大嫌いです!」
とまで言ってしまいました。
その時は、自分が正しい…、相手が間違っている!、
と言う比較の概念にのみ込まれていました。
怒りの感情のその中には
その強烈な怒りのその奥と言いますか、その中には何があるのでしょう?。
そもそも、どこに自動反応をしたのでしょう?。
その事を友人で、学びの仲間でもある人に個人セッションをしてもらいました。
その中で、怒りの中にある感情を見ることができました。
何に私は反応していたのか?。
無視、大事にされていない、見捨てられ…
セッションを受けた人の誘導で、内観すると…、
ありました、私が反応してた部分が…。
相手が遅れたことに反応して怒っているのではなく、連絡もなしに放っておかれたことに反応してることが分かりました。
部屋に泊めた人の私に対する…連絡がない。
この事が、私の
「(自分の思いを)無視された!」
「私が思ってるほど、この人は私のことを思っていない」(比較の概念にのみこまれている)
無視&大事にされていない、こんな感情のはてに…私は見捨てられた 、
との感情があり、
今回のことで、俗に言うスイッチが入って…、
怒りの自動反応を起こしていた…、そう言う事が分かりました。
その思いの根源は、やはり母親に対する…、未完の感情なのだと感じました。
怒りの下には…、
無視された。
自分が思ってるほど、相手は私のことを大事に思っていない!。
見捨てられた!。
悲しみや淋しさに似た、こんな感情がありました。
遅れたことより、連絡がなかったことに私の前記の感情の自動反応が出た。
こういうことが分かりました。
怒りとは全然違う感情を隠すために…自動反応の怒りがありました。
これは誰にでも起こり得ることだと思います。
今、怒ってる感情をお持ちのそこのあなた。
本当の感情はなんでしょう?、そこを考えてみるのも…自分の心を見ることになりますよ。
私にもまだ自動反応が起こるものがあるんだなぁ〜、と感じることができました。
その点に気づかせてくれた、そう考えると、その怒りを向けた人にも感謝の気持ちが起きました。
その人には?、翌日にお詫びしましたよ(*^-^)ニコ、「大人げないことを言いました」って。
その人の、「人、時間に関する感じ方」には違和感があります、私と違う!、
ただそれだけなのです。
それを間違ってる、間違っていない…、そこの判断は…、あなたの自動反応がジャッジしてるだけなのです。