泣けない男…、あなたもそうですか?。
実は、私もそうなんです。
長い習慣で、人前で涙を見せることは、「恥」「負け」「弱さ」なんて思っていました。
弱さを見せたくない…そんな思いが涙を封じ込めていました。
禁止事項になっていた涙
自分の人生で育った過程で「男なら泣くな!」、
これが強烈にインプットされていました。
両親はそうでもありませんでしたが、明治・大正生まれの祖父母からそう教わりました。
祖父(明治生まれ)、
「男ならメソメソするな、泣きたくなってもこらえろ」
祖母(大正生まれ)、
「男は親が死んだ時以外は泣いちゃいけないのよ!」
そんな環境が、人前では涙を見せてはいけない…、こんな思いが刷り込まれたのだと思います。
実際、祖父母は私の前では涙を見せたことはありません。
祖母の兄弟が亡くなった時も…、淡々としてたように見えました。
その姿が正しいのだと思いこんでいました。
どんな涙もダメ!
涙にもいろいろあります。
「感動の涙」「悔し涙」「悲しみの涙」「同感の涙」、
そう言う感情は無い?、そんなことはありません。
もちろん、感動したり、悲しんだりして、涙がたまることはあります。
ウルウル(;_;)と言う状態です。
そこで無理やり涙を止めてしまいます。
そうやって生きてきました。
その心の中はどんな思いがあったのでしょう。
安心できる人の前でないと泣けない
以前は、恥ずかしい、そんな感情もありました。
涙は弱さ、涙は恥、そんなことに若い頃は囚われていました。
何があっても動じないのが、強い男…。
今は、安心(信頼)できる人の前でないと、泣けない。
これが今の自分の正直な思いです。
もし、何かの機会で私が涙しているのを見たら、そこにいる人、その場所に安心(信頼)を感じていると思っていただいて結構です。
そんな場所でないと涙することはできないのが、正直な気持ちです。
涙の防波堤の決壊
心の学びの中で一度だけ号泣したことがあります。
その時は、こらえてこらえて…こらえきれずに。
涙の防波堤が決壊しました。
文字通り、その場で慟哭して、号泣しました。
その時の様子は…、ブログに書かせていただきました。
[blogcard url=”https://m-bose.net/archives/734″]
あたりまえの話ですが、私にも涙はありました。
男の涙は信頼の証?
よく涙は女の武器…なんて言いますが、そのことはここでは触れずに(*^-^)ニコ。
私に関してですが、涙は信頼の証だと思っています。
つまり自分の弱いところ、見せたくない自分を見せる、それができる証拠なので、私の涙は、そこにいる人、その場所に対する絶対の信頼の証なんです。
悲しみの共有
友人が悲しみにくれている時など、悲しみを共有する場面があります。
そんな時、泣くことができるか…、それはどちらでも良いと思います。
泣くことができてもできなくても、どちらでも良い。
悲しみの感情がわかっていれば、それで良いのです。
最後に、私が敬愛するメンター、師でもある、岡部明美さんの言葉を…。
「心が開いた時、男は悲しみを出すことが多いの、
悲しみを隠して男は生きてる」
「心が開いた時、女は怒りを出すことが多いの、
怒りを隠して女は生きてる」
もしかしたら、涙は男の特権かもしれませんよ。