私はよく五分五分(ごぶとごぶ)と言う言葉を使います。
人間関係や生き方のキーワードのようになっています。
なぜこの考えを
私には弟がいます。
重い障害を持って生まれてきました。
小さな差別…そんなことを感じて生きてきました。
(ほとんど自分の思い込みでしたが)
そんな環境から、五分五分…、この言葉が頭に残っていました。
最初は条件的なことを考えていました。
何か競争するための。公平な環境。
最初はそんなふうに、「五分と五分」を考えていました。
私の弟のような家族がいる環境、それに対して同じ環境、条件…。
それを「五分と五分」なんだと思っていました。
心の学びのなかで変わってきた。
「◯◯をやってあげて、◯◯をしてもらえる」
と言う考えかたに変わってきました。
「助け、助けられ」
「癒やし、癒され」
「守り、守られ」
「愛し、愛され」
「教え、教えられ」
心の学びを続けていくうちに、
条件的な五分と五分の考え方の根底には、
❝比較と優劣❞の囚われがあることが分かりました。
何か助ける、何かをしてあげる…それは、自分が優位に立ちたいためにやっていた。
そんなことが分かりました。
ごちそうするときとか親愛でやっていたつもりが、自分が優位にたちたい、
この思いからやっていたことが多かった、そんなことに気づきました。
優位に立つ、他の人には大したことではないかもしれませんが、
その事の囚われは強く自分のなかにありました。
五分と五分、この考えになるためには❝お役目❞と言う考え方が自分のなかに芽生えてきたことがおおきな転機でした。
このことはブログに書かせていただきました。
今は、五分と五分とは、
「何かして助けさせてもらって、何かをしてもらい助けてもらえる」
そんな関係のことを呼ぶ言葉なんだと、自分では思います。
決して、同じ条件ということではないと分かりました。
私の感じた五分と五分ですので、違うよ、と言う方もいると思います。
それで良いと思います。
これはあくまでも私の思いですので。
人生の樹
これからの人生を視覚化すると言いますか、地図になったり、これからの未来予測図、
受けてた講義の最終講の課題として書きました。
自分の人生の中の大事な部分として❝五分と五分❞の考え方を書かせていただきました。
私としては、五分と五分でつきあえる、真(心)の友を…、これからも増やしていきたいなと思っています。
この記事を読んだ人は、こんな記事も注目しています。